「手術では救えない」外科医の葛藤が原点。一人の医師が「抗酸化」にたどり着くまでの軌跡(前編)

東海国立大学機構 岐阜大学 高等研究院 科学研究基盤センター 共同研究講座抗酸化研究部門
犬房春彦 特任教授

犬房春彦 特任教授

 

臨床現場で多くの先生方が直面する「治療の限界」。その壁を前に、一人の外科医はいかにして基礎研究の道へと進み、世界的に注目される抗酸化研究者となったのでしょうか。本記事は、犬房春彦先生(岐阜大学 科学研究基盤センター 共同研究講座 抗酸化研究部門 特任教授)のこれまでのキャリアを紐解くインタビューの【前編】です。 外科医としてがん治療の現実に直面した葛藤、研究者としての成功体験、そしてキャリアにおける大きなターニングポイントとなった決断とは。続く【後編】では、Twendee Xの開発とエビデンス構築について詳述します。まずは、その研究の原点をご覧ください。

 

父の言葉で医学部へ―臨床現場での経験が研究の道を拓く

犬房先生が医学の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか?

正直に言うと、高校生の頃は将来何になりたいかなんて、全くイメージがなかったんです。だから大学受験の時も、5つの大学を受けたんですが、全部違う学部でした。本当にひどい話で、スペイン語学科とか政治経済学部とか、もうむちゃくちゃですよ。 当時はバンド活動に夢中で、とにかく京都に行きたかったんです。当時の京都は「日本のシカゴ」と言われていて、音楽をやりたい方はみんな京都を目指すような時代でした。 そんな中、父親から「お前はあんまり賢くないから、手に職をつけなさい」と言われましてね。それで医学部を一つ受験しました。結局、受けた大学は全部通ったんですが、父親から「医学部以外に行くんだったら学費は自分で払いなさい」と言われてしまって。そうなると、医学部以外の選択はありませんでした。医者はすばらしい仕事だと思っていましたが強い意志があったわけではなく、当時はあまり深く考えていなかったんです。 大学に入ってから、しばらくは結構遊んでいました。大学2年の前期試験では15教科のうち7勝8敗の負け越しで、成績は下から2番目。このままだと留年だぞと教官に言われてこれは大変だと思いました。というのも、親から「留年したら学費は自分で稼げ」と言われていましたから。そこから一生懸命勉強を始めたという感じです。

医者になって外科を選んだのも、単純な理由です。私はもともと単純な人間なので、内科は難しそうだと思いました。手先は器用な方だったので、外科がいいかなと思ったんです。お腹の手術をする、いわゆる一般外科に行くことに早くから決めていました。

私がなぜ研究を始めたかというと、外科医として2年間の研修医時代の経験が大きいです。一生懸命がんの手術をしても、結局4割くらいの患者さんは再発や転移で亡くなってしまう。外科医の仕事は確かにやりがいがあって面白いんですが、いくら頑張ってもその数字は良くならないんです。 手術で治る人もいれば、全くダメな人もいる。ということは、手術だけではない「何か」を追加しない限り、亡くなる人を減らすことはできないわけです。その「何か」を考えた時、やはりがんの基礎的な研究しかないと考えました。薬でも、検査法でも、何でもいい。何か新しいことを見つけて、がん患者さんを一人でも多く助けられるようになればいいなと思ったのが研究を本格的に始めたきっかけです。

大学院では、がんの「転移」の研究を始めました。ところが当時の指導教官が、夢物語みたいなことを言うんですよ。「オリジナルの研究をするために、まず患者さんの手術臓器からがん細胞を培養して、それを免疫のないヌードマウスに注射して転移させるモデルを作れ」と。当時はインターネットなんてありません。一生懸命図書館で調べたら、ヒトのがん細胞で転移するモデルなんて世界に4つしかありませんでした。それをゼロから作れと言われたのです。 これは無理だろうなと思いながらも、言われたことをコツコツと、延々とやっていました。そうしたらなんと成功したのです。おそらく世界で10例目くらいだったんじゃないでしょうか。小学校以来ひどい成績だった私が、近畿大学の大学院は首席で卒業することができました。この時、「普通は絶対にできない」と思われていることでも一生懸命やればできるもんだな、という大きな成功体験を得ました。これが一つの自信になりましたね。

その後、アメリカのワシントン州立大学シアトル校箱守仙一郎教授の教室に2年間留学して、大きな衝撃を受けました。来ている研究者たちのレベルがとんでもないんです。京都大学から来ている先生なんて、朝の7時から夜中の12時過ぎまで研究に没頭して、超一流の論文を次々と発表していく。周りにそういう人たちがいると、自然と引っ張られるんですね。「世の中にはこんなにすごいヤツがいるのか」と。この留学経験で、私は完全にそちら側に引っ張られました。この時の経験が、今の私につながる一番の要因だと思います。

 

人生を変えたのは、一人の伯爵との出会いと“アルコール代謝サプリ”だった

30歳でアメリカから日本に戻られ、その後はどのような道を進まれたのでしょうか?

アメリカから日本に戻ってきてからの30代は、臨床と研究の両立でした。留学中に「イノベーティブな発見は若い時にしかできない」と周りから聞いていたので、とにかくこの10年間は一生懸命やろうと決めていました。朝7時に大学へ行って患者さんを診て、夜は家に一瞬だけご飯を食べに帰り、すぐに研究室に戻って夜中の2時、3時まで研究する。そんな生活をほぼ10年続けましたね。

そうして40歳になった時、外科の主任教授を決める選挙があったんです。最終候補の3人まで残ったんですが、結果は落選。10年間必死にやってきたのに、これといった成果が出せていない自分自身に腹が立っていました。選挙に落ちるし、ロクな業績もないし、と。内心はめちゃくちゃ不満でした。

そんな中、2001年に私の人生を大きく変える出会いがありました。マーカス・マチューシカ・グライフェンクラウ伯爵との出会いです。カール大帝の時代から続くグライフェンクラウ伯爵家が所有するワイナリーで行われた収穫祭で、ある日本人のご婦人が収穫祭の主催者であるマーカスに、『ワインが好きですが、体質的にすぐに酔ってしまいます』と相談したんです。マーカスはアジア人が遺伝子的にお酒に弱い人が多いことを知っていましたが、これを解決できるサプリメントができないかと私に頼んできました。「アルコールの研究をしたことあるか?」と聞かれたので、「マウスにアルコールを打つとアセトアルデヒドが出て免疫が下がってがんの転移が増える」という研究をしてるって言ったら、「ならあなたが適任だ」となったんです。もともと彼が持っていたアイデアを元に、不要なものを削ったり、新しい成分を足したりして改良を重ねていきました。そして約1年かけて完成したのが、後に「スパリブ」という商品名で販売されたサプリメントです。

このときがちょうど大学を辞めようかと悩んでいた時期と重なります。気分転換も兼ねてアフリカのタンザニアへハンティングに行ったんです。2週間ひたすらジャングルの中を歩き続けました。まるでお遍路さんみたいなもので、歩きながらこれまでの自分の人生や外科医のこと、研究のこと、将来のこと…色々なことを考えました。そして、出した結論が「よし、外科医をを辞めよう」でした。 そして2006年の末に、大学を円満に退職しました。もう大学という組織に所属するのはやめて、もっと自由に研究を進めようと思ったんです。それからは、民間の会社と組んだり、岐阜大学にいる同級生のところで間借りさせてもらったりしながら、研究を続けていくことになりました。

 

アルコール代謝から抗酸化研究へ、Twendee Xの誕生秘話

アルコール代謝の研究から新たなサプリメントの開発につながったそうですが、どのような経緯があったのでしょうか?

当時は「アルコール代謝」がテーマだったので、がん研究とは直接関係ないと思っていました。しかし、その後も「もっとアルコール代謝の効果が高いサプリメントを作ろう」といろいろな実験を続けていたんです。 転機が訪れたのは2005年の5月でした。その日も仲間に集まってもらって飲んでもらい、採血をしてアルコールの血中濃度を測るという実験をしていました。普段は安定しているデータが、その日に限って大きくブレたんです。あるグループはいつもより格段にアルコールが下がったのに、別のグループは逆に下がりが悪かった。

「一体何が違うんだ?」とデータを睨みながら考えに考え抜いて、ある違いに気づきました。アルコール代謝が良かったグループは、お昼に海鮮焼きそばと杏仁豆腐を食べていた。つまり、血糖値がかなり上がった状態だったんです。一方、代謝が悪かったグループは、時間がなくて小さなおにぎりとカップラーメンだけ。血糖値がそれほど上がっていなかった。

これだ、と思いました。アルコールの代謝には血液中のグルコース(糖)がエネルギーとして使われます。ということは、このサプリメントの成分はアルコールだけでなく、グルコースそのものの代謝に関連しているに違いない、と。 この仮説を確かめるために、糖尿病の診断で使われる「糖負荷試験」を行いました。砂糖水を飲んで血糖値の変動を見る検査です。すると、案の定、この配合物を飲んだ後では血糖値もインスリンも見事に下がったんです。

このデータを見た瞬間、「これは糖尿病に使える。そして、糖尿病が予防できれば、がんになる人も救える。これで、がんの研究につながるぞ」と確信しました。この偶然の発見から生まれたのが「Twendee X(商品名:オキシカット)」です。この日を境に、私の人生は完全に変わりました。

 

Twendee Xの研究はどのように進んでいったのでしょうか?

Twendee Xが糖尿病に効くと分かってから、糖代謝や脂質代謝の研究をずっと続けていたんですが、2011年に大きな転機が訪れました。ドイツのレゲンスブルク大学にいるヘルムート・ドルシュラーグ先生という、NASAの火星探査にも関わるような放射線物理学の有名な先生から、突然レポートが届いたんです。 彼が言うには、「Twendee Xは、ものすごい抗酸化力が高い。これは間違いなく世界最高峰の抗酸化効果を持った配合物だ」と。レポートにはそう断言してありました。Twendee Xの方がビタミンCと比較しても何十倍も抗酸化力が強いと。

正直な話、そのレポートをもらった時、私は「酸化ストレス」がこれほど病気と深く関わっているものだとは全く理解していませんでした。レポートに「ROS(活性酸素)」と書いてあっても、「これ、何の意味かな?」という低レベル。研究ターゲットは糖代謝の改善だったので、酸化ストレスと関連しているというのは意外な発見でした。

しかし、その道のプロが「世界最高峰だ」と言い切っている。これはもう、この研究を進めるしかない、と思いました。彼がなぜ放射線と酸化ストレスの研究をしていたかというと、実はチェルノブイリ原発事故の被害者なんです。ハンガリーで春先に雨に打たれたのがチェルノブイリ事故の数日後、5年後には甲状腺に腫瘍ができたといいます。ヨードが甲状腺に溜まって、そこで酸化ストレスを出し、それが原因でがんになったと。そのため、彼はライフワークとして酸化ストレスを下げるものを一生かけて追い続けてたんです。たまたま知り合いがTwendee Xを彼に紹介してくれて、Twendee Xは世界最高峰の抗酸化力を持つというお墨付きをいただいたわけです。

そうして、本格的な実験施設が必要だと考え、岐阜大学にお願いして「抗酸化研究部門」という研究室を2013年に作っていただきました。酸化ストレスを研究している研究室はたくさんあるのですが、私たちは「抗酸化研究部」とあえて名付けました。なぜなら、私たちはもう「世界最高峰」と言われる抗酸化の武器を手に入れていたからです。

そこから、研究をさらに広げるための出会いが続きました。抗加齢医学会でランチョンセミナーを開くことになり、座長を誰にお願いしようかと考えました。そこで、酸化ストレスに関する教科書を書かれていた吉川敏一先生にお願いすることにしたんです。もちろん、お会いしたことも話したこともありませんでした。でも、この分野の第一人者である吉川先生に「いいね」と言ってもらえれば本物だろうし、「ダメだ」と言われればこの研究に将来はないだろう、と。一種の賭けでしたね。 初めてお会いした食事会では、私の研究の話はそっちのけで、当時世間を騒がせていた医学界の事件の話ばかりされていたのですが、結果的に気に入っていただけたようでした。学会で私の発表データを見た吉川先生は、終わるやいなや駆け寄ってきて、「これはすごいから、研究をちゃんと進めましょう」と言ってくださったんです。

さらに、その年の秋、今度は吉川先生が会長を務める酸化ストレス学会で発表する機会がありました。私がTwendee Xの抗酸化力についての発表を終えたところ、「岡山大学の阿部です。これからはTwendee Xの時代が来ますよ。ぜひ共同研究をやりましょう。」と一人の先生が声をかけて下さったんです。 当時、私はその方がどのような先生か知りませんでしたが、後に認知症の研究を一緒に進めることになる、当時岡山大学神経内科学教授の阿部康二先生との最初の出会いでした。阿部先生は長年認知症に使える抗酸化物質を探しておられたそうで、私の発表をたまたま聞いて確信されたそうです。 吉川先生との出会いも、阿部先生との出会いも、本当に偶然の連続です。でも、その一つ一つの偶然が重なって私の研究はここまで進んできたんです。

私がよく言う「運だけでここまで来れました」というのは嘘じゃないんですよ。例えば、酸化ストレス研究の科学的基礎を教えてくれたフランス科学学士院会員のクリスチャン・アマトーレ氏との出会いも、まさに偶然です。 2013年岐阜大学に研究室を設立中に参加したパリで開かれた酸化ストレス学会の帰りの出来事でした。空港で日本に帰る飛行機を待っていたら、「出発が30分遅れます」とアナウンスが流れました。すると、私の前にいた男性が「けっ、またか!どうせパイロットが来てないんだろ」なんて毒づいているわけです。 話してみると、その方は日本が大好きで、今回で25回目の来日だと言うんですね。そして、「わしは酸化ストレスの研究をしとるんや」とおっしゃるんです。話を伺うと酸化ストレス分野の重鎮で、その後共同研究を始めることになったんです。エールフランスの飛行機が定刻通りに出発していたら、この出会いはありませんでしたから、今ではエールフランスのいい加減な運行に感謝しています(笑)。

 

おわりに

外科医として臨床の限界を痛感し、がんの基礎研究へ。そして、新しい研究に挑戦するための大きな決断と、その後の偶然の出会いが「抗酸化」というテーマへと導きました。前編では、犬房先生の研究者としての歩みの原点をお届けしました。 続く【後編】では、いよいよサプリメント研究の核心に迫ります。氾濫する健康情報の中でいかにして科学的エビデンスを構築したのか、認知症予防学会で高い評価を得た臨床試験の実際、そして今後の研究展望について伺います。ぜひ後編もご一読ください。

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